INTERVIEW

    70年中洲で愛された伝統の味を継承 /にしやま・西山幸志代表


    にしやま・西山幸志代表(右)と妻の知文子さん

    2019年7月27日、中洲で70年以上続いた老舗すき焼き店「中洲ちんや」(中洲3丁目)が閉店した。2代目経営者で女将の古賀人美さん(当時71歳)の引退に伴うもので、最終営業日の店の周りに長蛇の列ができたのは、多くの人に愛され続けた証拠だろう。

    古賀さんが不動産ごと手放すいわゆる「完全廃業」だったが、今年1月6日、中洲ちんやのマネージャー・店長を務めていた西山幸志さんが伝統の「味」を受け継ぎ、「すきやき・しゃぶしゃぶ にしやま」として、中洲ちんやと同じ場所でオープンした。西山代表は20代後半から約30年、中洲ちんやで勤務。古賀さんと血縁関係はない。

    近年、中洲では老舗料理店の担い手不足の課題が浮き彫りになっている。その流れで「閉店」との一報に、常連さんなどから「女将(古賀さん)の代でお店が終わるのは寂しい」との声や「ずっと残して欲しい」といった声を以前から聞いていたという。

    「私自身たくさんの人に愛され続けたお店が無くなるのはもったいないとの気持ちが強かった」と西山代表。

    伝統を残そうと、中洲ちんやでともに働いた妻・知文子さんと話し合い、閉店後、独立する形で継承することを古賀さんに願い出た。

    すると、「自ら商売をする苦労は女将が一番分かっていたので、私の負担を心配いただき、一度は反対された」と振り返る。しかし、西山代表の中洲ちんやを継承したいという思いは強く、古賀さんから「継ぐのは窮屈なことも多く、店の伝統を残してくれとも思わない。だから、自分の名前でしんしゃい」と、背中を押されたそうだ。

     

    仲居さんが直接すき焼きを調理してくれる昔ながらのスタイルは今も変わらない

     

    「屋号こそ変わったが、すき焼きの作り方と味だけは継承させてもらうことに。味付けは砂糖としょうゆだけ。仲居さんが肉を焼き、食べごろを教えるスタイルも変わらない」と西山代表は説明する。

    2019年9月に法人化し、「(株)にしやま」を設立。当初は別の場所での営業を考えていたというが、新たな不動産オーナーから物件を賃貸で借りることができ、縁あって中洲ちんやと同じ場所で営業することになった。

    店内の座敷席をテーブル席にするなどリフォームを経て内装を一新。外観の一部壁紙は中洲ちんやの名残から一部残されている。中洲ちんやの従業員は70歳を超えていたスタッフも多く、閉店を持って引退する人も。それでも半分が新店舗に残り、新たに加わった若手とともに開店へとこぎ着けた。

    「オープンからまもなく地元紙の報道や、口コミを聞きつけ足を運んでくれる昔から付き合いのある常連さんの姿があった。もちろん、新規のお客さまの姿も。先代と比べると経験は浅いが『ちんやと変わらない味』とほめ言葉をいただくのが何より嬉しい」と笑顔を見せる。

    その後コロナ禍となるが「団体でお店に行けない人も多いことから、会社の福利厚生として少人数、個人で使ってもらえるようにしていただいた経営者の方もいらっしゃる。大変ありがたい」と西山代表。最近(11月中旬取材時)では出張再開など中洲ちんや時代から足を運ぶ県外客も少しずつ増え、変わらない味に安堵する常連さんも多いようだ。

     

     

    九州産の黒毛和牛を使用したにしやまのすき焼き

     

    また、コロナの逆境下について西山代表はこう語る。

    「2000年代のBSE(牛海綿状脳症)問題が起きたときも客足、売り上げともに激減。当時は主な補償などもなく、『風評被害』なんて言葉も世に浸透してなかった。そのような中、古賀女将は従業員に変わらず給与を支払い続けるなど雇用を守ってくれた。そして、女将の営業力で耐え抜き、再びお客さんが戻ってきた。女将の営業力は格段。BSEの時のことを思い出すと、まだまだ頑張れる」。

    そんな古賀さんとは定期的に相談に乗ってもらうことも。「もう30年以上、家族ぐるみの付き合い」と微笑む。そして、古賀さんからの激励の言葉は、いつも「ぼちぼち(ゆっくり焦らず)でやりんしゃい」だ。

    「コロナ禍でのスタートで一時は客足が落ち込んだが、今後は、はい上がるしかない。変化の激しい時代だが、受け継いだモノは変えずに成長を続けたい。古賀女将には敵わないことも多いが、色んな経験を経て、少しでも追いつけるように」と西山代表は前を向く。

    【本誌・ふくおか経済12月号、「逆境から再興へ、歩みを止めない歓楽街」から抜粋】

    (金縄洋右)